尾上縫(ぬい)の若い頃から晩年と壮絶な生い立ち!子供と旦那のその後は?

尾上縫(ぬい)の若い頃から晩年と壮絶な生い立ち!子供と旦那のその後は?

尾上縫(ぬいIの若い頃から晩年と壮絶な生い立ち!子供と旦那のその後は?というタイトルでお伝えしたいと思います。

バブル時代に北浜の相場師や女帝といわれた尾上縫(おのうえ ぬい)さんとは、どんな人物なのでしょうか。

若い頃はかなりの美人だったそうです!

また晩年の様子や壮絶といわれる生い立ちについても注目してみたいと思います。

そして、旦那や子供がいたようですが、その後はどうしているのかも調査してみました。

 

尾上縫(ぬい)の若い頃から晩年と壮絶な生い立ち!

尾上縫(ぬい)の若い頃から晩年と壮絶な生い立ち!について注目してみたいと思います。

尾上縫(ぬい)さんの波乱万丈な人生は、何度か小説やドラマ化されたこともあります。

1930年生まれでした。

すでに亡くなられていますが、2022年まで生きているとすると、92歳になっていますね。

生い立ちは、奈良県磯城群多村の出身になります。

5人兄弟の次女として生まれ育ちました。

実家は農家でしたが、生活は苦しく兄弟の1人は栄養失調で亡くなったほど壮絶なものだったようです。

さらに、10歳の時には、父親が亡くなり生活はさらに困窮することになりました。

母親は、子供たちをなんとか育てようとする才覚も持ち合わせていなかったようです。

生活費の支援を株の仲介人をやっていた豪農の男性に頼るようになっていました。

このような家庭環境は、尾上縫さんが株の魅力を知ったきっかけとなったのかもしれません。

また、常にお金を持つ男性を見つける重要性も早くに知ることになったと思います。

そして、1994年高等小学校を卒業すると働きに出ます。

現在でいうと、中学2年生くらいでしょうか。

昭和時代の終戦間もない頃は、10代初めの年齢で働きに出ることもめずらしくはなかったのです。

当初は、地元の鉄道の駅員や工場で働いていたものの、やがて大阪に働きに出ることにしたようです。

大阪では、デパートや水商売で働いていたようです。

そして、25歳の頃からバーの経営を始めました。

ところが、経営はうまくいかず店を畳んでいます。

そして、大阪にあるすき焼きの店で仲居として働きはじめました。

30歳前後のことで、若い頃は美人で評判だったそうです。

そして、そんな尾上縫さんには、大手住宅メーカーの会長のスポンサーがつきました。

強力なスポンサーの援助で料亭恵川を開店することになりました。

そして、料亭のおかみにおさまった尾上縫さんは、占い師のまね事のようなことをはじめるようになったのです。

料亭には、金の硬貨を口にはさんだガマカエルの置物が、金運を招く縁起物として飾られていました。

尾上縫さんは、ガマカエルの前で祈祷をし、「〇〇の株が上がるぞよ~」といったお告げをするようになったのです。

この占いがよく当たると評判になり、証券マン銀行マンがこぞって料亭恵川に参じることになりました。

ついには、縫の会といったファンクラブのようなものまでできたそうです。

尾上縫さんに特別な占いの能力があったかどうかはわかりませんでした。

ただバブルな世の中で狂乱していた時代でもあったのです。

そして、尾上縫さん自身も投資や不動産経営を始めていました。

銀行には多額の定期嫁金がありました。銀行から多額の融資を受けて、株の売買をするようになっていたのです。

しかし、平成時代に入りバブルが崩壊しはじめると、地価が暴落することになります。

尾上縫さんは、負債が増えて資金繰りに困るようになりました。

では、どうやって資金繰りができたのでしょうか。

北浜の相場師といわれていましたが、実際は資金をまわす自転車操業だったのです。

金利だけで1日1億7000万円以上にもあったそうです。

そして、ついに詐欺行為に手を染めます。

取引のあった東洋信用金庫の担当者と組み、巨額の預金があるように見せかけたのです。

見せかけの預金を担保にほかの大手金融機関から次々と融資を受けました。

金額にして、なんと2700億円も融資を受けたいたのです。

たった1人の中年女性が2700億円もの融資を銀行から引っ張ったことが驚きでしたね。

巨額の金額を融資する銀行も問題ですが、バブル当時はこんな話はいくらでもあったのです。

そして、1991年に尾上縫さんは詐欺罪で逮捕されました。

61歳の時でした。

しかし、翌年1992年に7億円もの保釈金を払って釈放されています。

誰が保釈金を支払ったのか気になりますね。

また、破産手続きをおこないました。負債額は4300億円という巨額な金額で現在も日本で個人の負債としては史上最高額となっています。

また東洋信用金庫の関係者4人も逮捕され、銀行は経営破綻をしました。

銀行を潰してしまうほどの破壊力を持つ女性でした。

その後、懲役12年の実刑判決を受け刑務所入りになりました。

年齢は73歳になっていました。

刑務所に入ったものの、高齢のため要介護状態となり、人の手を借りなければ何もできない状態だったそうです。

刑期を終え出所した晩年は、老人ホームで過ごしていたようです。

2017年に84歳で亡くなりました。

生前に建てた高野山の墓所にひっそりと埋葬されたようです。

 

子供と旦那のその後は?

子供と旦那のその後は?について注目してみたいと思います。

尾上縫さんには、1度結婚をしていたことがありました。

19歳の年齢で結婚をし、25歳の時に離婚をしていました。

旦那については、かなり昔のことなので名前など詳しいことはわかってはいません。

また、女の子が1人誕生し、離婚時は1人で育てていたようです。

しかし、仲居として働き始めたころから子供は旦那側に預けていたようです。

その後も母子の交流があったかどうかもわかってはいません。

子供の年齢は、現在おそらく60~70代になっているはずです。

もしかしたら、子供は母親が北浜の相場師や女帝といわれるほどの人物だったことは知らないで育った可能性もありますね。

 

【ネット上の声】

まとめ

尾上縫(ぬい)の若い頃から晩年と壮絶な生い立ち!子供と旦那のその後は?についてまとめてみました。

若い頃は北浜の相場師や女帝といわれた尾上縫さんは、実際には株の知識はほどんとなかったそうです。